INTERVIEW
Masayuki Katayama
片山工業 代表取締役社長
- ウォーキングバイシクル(以下wbc)の企画はいつ、どのような経緯でスタートしたのですか?
「2007年に片山工業の二代目である父片山典男が亡くなり、翌年に18年間勤めていたアメリカの現地法人を離れて急遽帰国、社長に就任しました。
その当時の日本の自動車業界はというと、グローバル化が進むなかで、自動車メーカーがアジアやメキシコに工場を移すという流れがあり、国内での生産台数は激減していました。
そして、2008年の9月にリーマンショックがあり、世の中の意識が大きく変わりました。もうなにが起こっても不思議ではないという空気が生まれたのです。アメリカのGMとクライスラーが倒産したのはその翌年、2009年でした。
弊社は岡山県井原市で70年以上自動車部品を作り続けてきたメーカーです。従業員は約500人います。
この人員を今後も維持していかねばならない。そのためには、『自動車だけに頼っていてはダメ、自動車以外の事業にも目を向けねば』とこの時期に強く思いました。
wbcの企画の背景には、そんな時代の流れがあったのです」
- とくにこの分野に目をつけたのはどうしてですか?
「2009年の5月に友人から相談をされました。彼の父親が当時80歳代の後半で、歩くのを趣味としていました。
でも、近い将来自力で歩けなくなるだろう。そこで、「立ってこぐタイプの歩行補助機を作ってもらえないだろうか」と。
彼から一枚のスケッチをもらいました。それから3カ月経った頃です、これを何とか事業にできないかと考えるようになりました」
- 当初のアイデアは高齢者向けの乗りものだったということですか?
「企画の当初はそうでした。開発も安定性を考えて四輪で始めたのです。でも、四輪だと軽車両に該当するので免許が必要になってきます。
そこで国内の道路交通法を勉強して、三輪車でいくことにしました。現状、お年寄りの乗り物というと、シニアカーか車椅子しかありません。
コンセプトはこれらのひとつ前段階の乗りもので、目指したのは歩くよりも早く、歩く動作に近い乗りものです。設計開発の部署から4名を引き抜いて、2009年の9月に社内にプロジェクトを立ち上げました」
- 試作はどれくらいの期間を必要としましたか?
「広島市内のデザイン事務所とタイアップして約3年かけました」
- 試作機の反応はいかがでしたか?
「2012年の夏に、著名な女性プロデューサーに見て頂いたのです。『これ、耕運機ですか?』と言われました。
当時のプロトタイプはメカニカルエンジニアばっかりで作ったので、もうすべてがむき出しだったのです。
そこで彼女から業界で注目されているプロダクトデザイナーを紹介していただきました。また一からやり直しです。
次に完成したのは2014年になってからでした。そして4月30日に東京で披露して、10月31日に販売を開始したのです」
- 開発当初のコンセプトから変わったところはありますか?
「最初は高齢者向けの乗りものとして開発をスタートさせました。
しかし、製品として完成していくなかで、とても大きな可能性を感じるようになったのです。乗ってみると、これがなんともいえず楽しいのです。
自転車は小さなサドルにお尻を載せて、前屈みになるのが基本姿勢です。スポーツタイプになると、この前傾姿勢が強く、姿勢としてかなり無理があります。
これに対してwbcは立ったままの自然な姿勢で乗る乗りものです。ハンドルも無理のないところにポジショニングしてあります。
これで歩くのと同じ動作で進むのですから、姿勢がとても楽なんです。それでいて軽い力でスイスイ進みますから、老若男女、誰が乗っても楽しいわけです。
しかも、デザインはとても洗練されたものに仕上がりました。そこで高齢者に絞るのではなく、ファッションやカルチャーにも敏感なもっと若い世代にターゲットを変更しました」
- wbcの開発と自動車部品の製造とで共通した部分はありましたか?
「自動車部品の製造分野における日本の技術は世界で一番です。
いくらアジアに生産が流れているからといっても、今後も日本が負けることはありません。それぐらい日本の技術は優れていると思います。
その自動車部品製造の精緻を極めた技術が、そのままwbcには活かされています。
wbcの開発と自動車部品の製造は、ものづくりのスタンスではまったく同じなのですが、さらにもうひとつあります。
弊社の行動理念のひとつに<チャレンジ精神>があります。失敗を恐れてはいけない、常にプラス思考でチャレンジする勇気を持とうというものです。
メンタルの部分ではこうした企業理念が、ひとつの製品の完成に結びついたのだと考えています」
- wbcの海外に向けての展開について聞かせてください。
「現在、都内のホテルでレンタルを始めていますが、海外のお客様からの反応は非常にいいようです。
なかには複数台の購入を希望される方もいらっしゃいます。海外の方のほうが、日本人と比較して、新しいものに対して好奇心が強く、抵抗も少ないのかもしれません。
岡山の井原から、これまで見たことがない製品を世界に向けて発信するというのは、大きな夢のひとつでもあります」